エリノス=ブレドム連邦王国は、総選挙を終え、戦後復興政策を策定し、テロ組織「オリョール」をも壊滅させ、今や復興の途上にありました。アレイダ宙域の中心であるニブノス連邦が再統合され、安定化が進んだことにより、ブレドムは積年の問題である、ニブノスとの講和と経済的提携に乗り出す準備が整ったのです。
しかし、嵐が去った後も、新たなる驟雨の予感が訪れていたのです。
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「アラコス大巡洋艦を我が帝国大使館付きの仮装巡洋艦が撃沈した? 戦時なら大戦果だけど、平時においては新たな緊張を呼び起こす行為だよ。僕がかねがね恐れていた、現場の独走が、最悪の形で実現してしまった」
ライアー帝国においてアレイダ方面外交を総括する、ノイシュタット大公
ロルフ・シュタインは、その端正な顔に憂いを浮かべ、傍らのうら若い女性に告げました。
「総統府はこの件について、とっても慎重な意見を取っているわ。一兵たりとも動員せず、外交的解決を図れとのお達しよ。確実にあなたの失点を画策し、先のライアー帝国周縁環状航路構想を潰された報復を目論んでる。総統からすれば、バランスの回復ということなんでしょうけど、部下の独走のために事態がややこしくなるのはお互い様ってことね」
傍らの女性――ライアー貴族派の頭脳である、
ライム・フォイエルヘルト伯爵令嬢は早口で応え、そしてロルフに問います。
「貴方は緊張を激化させるつもりはある?」
「あるとも、ないとも言えるかな」
ライムはその答えだけで全てを察したようです。
「つまり、いざとなればブレドムを頼るのね」
「ブレドムだけじゃない、君の知恵も頼りたい」
ロルフの応えに、ライムはふくれっ面をしてみせました。
「ブレドムにニブノスを抑えさせ、あたしにNF57を抑えさせるなんて、あなたも人が悪くなったわね。それで具体的には何を?」
「NF57によるブレドムへのアプローチを遮断することだ。イレーネが主導するブレドムのアプローチを保持する必要がある。だが、NF57相手の外交となれば、彼女の権限では肩が重い。君の助けが必要なんだ」
ロルフの素直な態度に、ライムは態度を改め、そして問います。
「アレンスルートで、デネヴやアラコスは抑えられるかもしれないけれど、ブレドムはニブノスを平和的にどうこうできる力を持っているの?」
「少なくとも僕は、彼らと、イレーネを信じているよ」
ロルフの笑顔に、ライムは柳眉をひそめつつも、どう行動すればことが丸く収まるか、その聡明さで見通そうとしていました。
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「ロルフ大公殿下の信頼、必ずや応えねば」
ライアー帝国アレイダ政策統括官、
イレーネ・シェーンブルグSS少将は、アラコス大巡「エウクレイデス」の撃沈から始まった――そしておそらくはかなりの確率で発生する、アラコスとライアーのアレイダでの緊張激化を抑え込もうと意気込んでいました。
「アラコスの軍事介入方向は、メネディアかニブノスのどちらかだ。だがメネディアは等距離外交を行っている中立国で、ここへの進出で敵意を買う必要はない。アラコス単独では、我が帝国の精鋭の逆侵攻を防げはしない」
イレーネは、端末のスクリーンの上に描かれたアレイダ全図の、アラコスからメネディア方向への進出線に☓印をつけます。
「そうなれば、ニブノスを巻き込んで、フロンティアゲート、ニブノス、メネディアのラインをも取り込んで、ライアーに対する楔を形成しようとするだろう……直接戦争になっても泥沼だが、ニブノスがNF57側に完全に付いてしまえば、汎アレイダ主義もアレイダ星環構想も水の泡。ライアーの外部同盟地帯としてのアレイダという夢は消えてしまう」
端末のスクリーンの上に、イレーネはアラコスとニブノスの同盟によってアレイダがどう勢力分割されるかのラインを引きます。フロンティアゲートからメネディアに至るNF57系枢軸の外に、ブレドムが孤塁のように取り付いている姿は、イレーネの眼にはみすぼらしく見えて仕方ありませんでした。
「いくつか手はあるけれども、一長一短ね。いずれにせよ、相応の政治資源が必要だわ」
イレーネはその政治資源を、ブレドムから捻出するつもりでした。
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一方、ブレドムでは新憲法発布について協議が進んでいました。
「憲法改正には貴族院と民選議院の2/3の合意が必要で、さらに正式に発布されるためには王家の承認が必要とされるのですが、摂政殿下の意を汲みながら貴族院の2/3の支持を得るというのは、なかなかに難しいですねえ」
憲法草案を睨んでいた
クラウス・和賀は、ひどく面倒な気分になってぼやきました。
現状のブレドム憲法は欽定憲法で、王家が列公会議の補佐を受けて行政を行い、貴族院の認可を得て立法がなされ、王家の名のもとに司法が遂行されます。民選議院はその監査を行うだけの従属的なものでしたが、例外事項として、民選議院の2/3以上の承認を受けた場合、改憲案を提出できる権利がありました。
しかし、その改憲案すらも、王家と貴族院の双方の承認を得る必要があるというなんとも面倒な代物だったのです。そして、開明的で民主的憲法を望む
マハル・エリノス摂政と、旧来の王族・貴族有利な憲法を望む貴族たちは、鋭く対立こそせずとも、お互い自説をなかなか譲ろうとはしなかったのです。
「あちら立てればこちらが立たぬとはまさにこのことですよ……」
途方に暮れた顔をして、和賀は溜息をつきました。
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「アレイダ星環構想の評判は上々、ニブノスも実務レベル交渉に乗る可能性は高いけれど、まだ油断はできないね。なにしろ、再統合の後の体制を決める選挙をやるっていうんだから、まだ地盤は固まってない。まあそれはブレドムも同じで、新憲法発布次第では、耐性がかなり変わってしまう。今はまだ、外交的には待ちかな――それに、まだニブノスとブレドムは戦争状態だからね。和平しなきゃダメなんだ」
烏丸 秀外務大臣は、この構想を実現するためのハードルを思って、自分がかなり綱渡りめいた事業を行っていると感じていました。
「講和はどのみちニブノス新体制次第だ。ならまず取り掛かるべきことはなんだろうね? ただ待っているだけというのも、少し芸がないからね」
烏丸はそうつぶやいて、静かに考え込み始めました。
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列公会議の厳しい面々が集った席で、
アラディヴ・ラジェンドラ元憂国士官会総帥は裁かれようとしていました。
「これより開廷を宣言する」
列公会議議長・ケセルリア大公、
ヘルムート・ラスドアが告げ、裁判が始まります。彼の姿を、侍医である
テレサ・ファルシエは心配そうに見つめていました。
「被告人、アラディヴ・ラジェンドラ。あなたは内乱罪及び、元憂国士官会副総帥だったシャルード・アリシーバ殺害の容疑で告訴されています。容疑を認めますか?」
ラジェンドラはニヤリと笑い、応えました。
「全ての容疑を否認します」
列公会議の裁判官たちがざわめきました。ラスドア大公のこめかみにも血管が浮き上がります。しかし、ラジェンドラは悠々たる態度でそれらを受け流しました。
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「テロ組織”オリョール”と、そのリーダー、
レフ・ダヴィドの動静が、全く掴めなくなっています。次のテロは、彼らにイニシアチブを取られた状況から始まります」
王立憲兵隊司令代行、
アドラスティア・ヴァルトフォーゲル准将は宇宙艦隊副司令官、
アリアナ・アマースト中将と、テロ対策について会合していました。
「あら、”オリョール”はもう、大それた軍事的テロはやれないくらいに弱体化しているはずだけれども? ファントップ本国からも見捨てられ、めぼしいアレイダの交錯網からも切断されたはず」
アリアナは首をひねりますが、アドラスティアは厳しい顔をします。
「ライアー大使館からの情報によると、”オリョール”はオリジナルキャバリアー1機とキャバリアー数機を保有しているそうです」
「だったら、専門家を呼ぶべきね」
アリアナが情報通信スクリーンを操作すると、ひとりの近衛軍人が現れました。
「こちらは
桐ヶ谷 遥近衛中佐。近衛キャバリアー連隊司令官代行よ」
遥は敬礼すると、さっそく要件に食い込んできました。
「キャバリアーテロでしたら、我々にお任せ下さい。ですが、こちらが掴んでいる断片的情報によると、”オリョール”はまだ、キャバリアーによるテロを起こすつもりはないようです」
「なにかのタイミングを狙っているというわけね……」
アリアナはそう呟きました。
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そして、いずことも知れぬ薄暗がりでは、テロ組織「オリョール」のリーダー、
レフ・ダヴィドが、バッハのゴルトベルク変奏曲を聞きながら、うっとりとした顔で冷たい床に横たわっていました。
曲が終わると、彼はすいと身体を起こして呟きます。
「ニブノスの情勢が固まるまではおおっぴらに動かない。それまでは無差別テロで人心を撹乱し、真の目的を隠蔽する。だけど、その時が来れば――」
彼は天井の方を見上げます。そこには、銀色に光る、オリジナルキャバリアーの姿がありました。
一体、彼は何を企んでいるのでしょうか?