肺へと滑り込んでくる水の冷たさに、
ドラコス・サーリマンは覚醒し、体を陸に打ち上げられた魚のようにビチビチを跳ね回らせました。自慢の義手は無理やりに外され、むき出しになった神経に電流を流し込むための電極が繋がれています。
「ドーザーマンも、カタなしだなぁ?さあ、そろそろお前が愛人になにを言ったか吐けよ?平等党に国家機密を漏らしたんだろう?
ニヤついた笑顔でそれを眺めていた尋問官が問いました。
「オメガが女の口説き方に興味があるとは初耳だな。まずは、本人が気に入っている部位を褒めてやることだな」
「てめぇ!舐めてんのか」
尋問官はバキリと電流をドラコスに流し込みました。ドラコスの巨躯が跳ね上がり、崩れ落ち再び黙り込むドラコスに尋問官は薄ら笑いを浮かべながら言いました。
「お前の女の腕を切り落として、同じことをやってやってもいいんだぞ?その方が俺も楽しい」
「そんな状況でとった証言など、何の価値もあるまい」
「意味はあるさ、俺たちにはあるんだ。お前は仲間の仇だからな。お前がこれまでにおかした罪の深さを認めさせてやる」
オメガ部隊はバノテスカヤで多くの戦死者を出しました。その裏で糸を引いていたとされるドラコスへの恨みが、執拗な取り調べを続ける原動力となっています。
「愚かなことだ。俺がやるなら、先に愛人を捕まえて証言を吐かせて俺を殺して政権をとる。俺を生かしていたぶることで満足できるのはお前たちだけだ。権力より仇討ちが大事とは男子の本懐をわかっておらん。なぁ、パトリック・ディエン?モニターで見ているだろう!そんな暇があったら、早く権力を固めてみろ!手遅れになってから泣きついても知らんぞ!次にこの席に座るのはお前だ!」
★
「鉱山組合の評議員約700人のうち300は切り崩せた。権力というのは麻薬だな。切れるとすぐに新しいものが欲しくなるらしい」
評議会を乗っ取り、ドラコスを逮捕した
パトリック・ディエンは、共謀したオメガ部隊隊長
グエン ヴァン・ザップに言いました。
「この状況で半分切り崩せなかったのか」
「クレソン・ナムのはじめた国民運動の勢いが強い。しかたないだろう。彼女は妙な人気がある。平等党以外にも強引なやり方への反発はあるからな」
「あの女のデモは、戒厳令を布告して取り締まれないのか」
「スライダル・ポイント小惑星議会も多数派ではないが、平等党が強い。警察に強権をふるわせて府の運営に支障をきたしたくないせいか動きが鈍いようだ。」
「戒厳令を布告、軍を投入して鎮圧してしまえばいい」
「ボスロフ大将がどうも首を縦に振らん。なるべく穏当にことを収めたがっている。そちらからもつついてみてくんか」
「承知した。ディエンさん。私は公務中に軍を動かしている。あなたが失敗しても失脚で済むかもしれないが、私は銃殺だろう。呑気に構えられては困るよ」
「わかっている。だが、待つことも大切だ。平等党の連中を煽れば、奴らが先にボロを出す。国民が彼らを見限ったところで一気に叩く。もうすぐだ」
ディエンは力強くそう言いました。
★
クレソン・ナム宅には連邦警察によって正式に厳重な護衛がつけられるようになっています。
「命令ひとつで、護衛は軟禁に切り替えられるというわけよ。そちらは?再就職先は見つかったの?」
わざとらしい大声で、聞こえよがしに電話をする相手は
ロンバルト・コッペル元准将です。
「この騒ぎのおかげでさっぱりだよ。聞くところによると、メネディアは太陽税構想と、今回の平等党弾圧に相当お冠だそうだ。あちらもそもそもFTA締結は農工労働層に広がる平等党を生活安定でなだめるためだ。こうなっては、ニブノスを儲けさせる話なんて国内的な支持が持たない。そこで、安全確保を理由につけて、ニブノスFTAの受入対象をパールシティ発着便のみに限るときた」
「切り崩しね。パールシティはニブノスに対し、国家徴税の関連業務を委託しているにすぎないから、やろうと思えば、独自にニブノス航路に対し関税をとることができる。メネディアはパールシティにモノを売り続けることができ、パールシティは関税でもうけ、連邦政府は政治的にパールシティを失う。形式上パールシティがニブノスにとどまっても、その役割はメネディアの外港になる」
「それだけではない。あー、その北部の、平等党の同盟政権と無害通航権の打診があるそうだ。これが締結されれば、メネディアからパールシティを経由し、ブレドム・ライアー本国にいたる大きな経済圏ができる」
「そうなれば、ニブノスは交易センターの地位を失い、ただの辺境の鉱山都市に成り下がる」
「それだけは回避しなければ、ニブノスは未来を失う」
「そうね、よい未来を」
「長話になってしまったな、そろそろ失礼する」
「ええ、ご令息によろしく。あなたのせいじゃないと」
「ありがとう。君も気をつけて」
★
ローザリア・フォルクングと
アデリーヌ・ライアーは移設まもない在ニブノスのライアー大使館に呼ばれていた。
「情勢不穏当につき、ひとまずは大使館をしっかり固めることになった」
メネディアから転出してきた大使代行を務める宇宙軍大佐が軍務の気配を濃厚に漂わせながら言いました。
「本国からの増援はないのですか?」
アデリーヌ・ライアーが尋ねました。
「いまのところない。ただブレドム方面がカタ付きそうだからそれを回してくれる。当面は通商治安の怪しくなった北部方面で哨戒巡航をやるそうだ。こちらにはこない」
「ファントップの紐付き政権など無用です、吹き飛ばしてしまえばいいのに」
「気持ちはわかるがニブノスの北面機動艦隊は軍を維持している。そこと揉めるのはまずい」
ローザリア・フォルクングが横から尋ねました。
「それで私は何を望まれているのですか」
「アラコスの大型巡洋艦が売却名目でこちらに航路をとっている。ニブノスの情勢によっては引き渡しを口実として、軍事介入する可能性がある。これを警戒することが必要だ。最大で中隊規模の戦闘部隊を載せている可能性がある」
「沈めればいいんですか」
「まさか、大巡に仮装巡洋艦で挑めとはいわんさ。航路上を遠巻きに見物していればいい。一応はアラコスの新鋭に属する船だ、性能評価をつけておきたい」
「なるほど、しかしそれなら、正規の軍艦を充てたほうがよいかもしれません。そのために仮装巡洋艦が正体を知られる危険を犯すべきでしょうか」
「それも一理あるか。実施するかどうかは貴官の判断に委ねよう」
★
ダレス・シティ市長
ミハイル・ネフスキーは、新興学園都市の建設を率いる
トスタノ・クニベルティからの相談を受けていました。
「軍が臨戦態勢に入ることを理由に補助金の支払いを急に停止したのです。このままだと資金がショートしかねません。追加支援をお願いできないでしょうか」
「こちらも予算は治安対策などで予備費をきりつめている。この上もしも北部同盟との戦争がはじまってしまえば、戦時上納金が降ってくるんだ。悪いがうちに余裕はなさそうだ」
「そうですか」
トスタノは軍の資金をアテに手を付けた拡張計画のいくつかを中止するかどうかを算段しはじめました。
「……率直言うと、あまりお勧めはできないのだが、フロンティア・ゲートから打診が入っている。学園都市に資金参入して共同開発にできないかと」
「フロンティア・ゲートが?」
「学園都市はニブノス領域内にあるが、いまだニブノスの行政権が確立しているとはいえない地域だ。そして大規模港湾ができる予定もある。金を出すということは口もはさみたいということだよ。おそらく運営にいくらか顧問団を受け入れることになる。FTAこのかた、フロンティア・ゲートもずいぶんとこちらの対応に焦れているらしい」
「独立国際学園都市……」
「ん?何か?」
「いえ、とくに、その話、受け入れは少し考えさせてください。ニブノスの未来を育てるための学校という筋目がありますから」
だがもし、ニブノスに未来がないとすれば、自分はどうすべきだろうか?その考えがトスタノの脳裏を走って過ぎました。
★
地方政府が平等党政権であった北部の三小惑星で成る北部同盟は、流動的な状態に対応するのにてんやわんやでした。
北部同盟の統合司令部では軍司令部と、各部隊の齟齬であちこちで怒鳴りあいになっています。
「お前のところはなんで勝手に商船を鹵獲するんだ!」
「ブレドム野郎が戦略物資を積んでいるかもしれないだろう!」
ブレドム憎しの念の強い部隊が独断でブレドムの商船を鹵獲したことで揉めてるようでした。
「宇宙の管轄はまだニブノス北面艦隊にあるんだ、いいか宇宙のことは艦隊にまかせときゃいいんだ。そのほうがうまいことやってくれるんだ」
ロイド・ベンサムはそんな喧騒の奥にある部屋、北面方面軍司令官居室の扉をノックします。
「失礼します。ロイド・ベンサム大佐参りました」
立派な顎髭を生やした司令官、
ブルティコ・セルゲイ中将がロイドを迎えました。
「どうも、見苦しいところを見たという顔だな。貴官はバノテスカヤではよくやってくれたと聞いている、少々薬が効きすぎてとまらなくなった奴もおるようだが、あの場はあれ意外でおさめようがなかったろう」
「ありがたく存じます」
「ま、そう固くなるな、それにしても、時期が最悪だったなぁ……」
「ディエンのクーデターが、ですか」
「それもだが、ファントップ工作隊のブレドムの星落としだ。ファントップ外交部がディエンの野郎に、北部同盟の独立と平等党弾圧の停止を条件に最後通牒をつきつけた矢先に、ブレドムでの工作員どもがやらかして国際的な大顰蹙だ。外交部は何も知らされてなかったらしい」
「あの国らしいことです」
「いまファントップのフネを通してくれる国は宇宙のどこにもあるまいよ。うまいこと援護射撃して交渉にもちこめたらよかったが、クチバシだけ挟まれて、ケツは持たないんではな。俺たちだけ逃げられなくなったわけだ」
「いまならまだ、ディーハルト党首だけ突き出して終わりにする手もあります」
面白げに髭を震わせてセルゲイ中将は笑った。
「さすがは『大悪』大佐だ、考えることがちがう」
「逆にカウンタークーデターを入れて、新政権と和睦するのも可能性としてはあります。いまならかの一評議員の暴走で済みます」
「それは望ましい未来だが、こちらの腕を出る話だな。貴官はこの戦争どう始まると思う」
「スライダル・ポイントでの紛争、おそらく軍の平等党本部突入か、デモ隊の暴力化で評議会突入のどちらかが発端でしょう。その勢いで宇宙軍を味方につけて、大規模な陸戦力を動かしながら相手の背後を煽動しつつ、中枢を陸戦力で制圧。勝ち筋としてはそんなどころでしょうか」
「なるほどなるほど、じゃあこちらが勝つ未来を作らんか?作戦主任参謀がちょっといなくなってな?席が空いているんだが」
「いなくなった理由については教えてもらえますか」
「なに、病院で安静に入院している。流石に思想上の理由で出ていこうとする参謀が外に出られては困る。おっといま重要な機密情報を教えてしまったな?君は。どうする?」
全く、将軍になるような奴は悪人ばかりだとロイドは思いました。
★
「これは【油種】がファントップに流れる可能性があるか……」
北部同盟がニブノス連邦政府の統制を離れた以上、可能性は否定できないものになりました。
ヴァーツラフ・クラマーシュは苦々しく、その現実を受け入れるよりありませんでした。どうにか比較優位だけでも確保して、投資が無駄にならないように務めること、油の利用加工技術がニブノス工業界の無駄にはなるまいと信じながら、開発を進めていくよりないのかもしれません。
ニブノスをとりまく外交環境は現状とても厳しいものになっています。平等党の扱いを巡ってメネディアとはぎくしゃくしており、ライアーとNF57はファントップのブレドムの隕石落とし未遂については苦々しく思ってはいますが、自らがアレイダに有する権益を増やそうとシノギを削っています。
フロンティア・ゲートも態度を硬化させつつあり、学園都市をめぐっては油断がならない状態です。気がつけば四面が牙をむいてニブノスを狙っているのでした。
「いっそのこと、ブレドムと共同研究にすれば、まだ活路はあるかもしれない」
ふいにそんな構想が脳裏を過ぎますが、あまりに夢想的な発想にヴァーツラフは薄っすらと笑いました。3年の内戦に苦しんだブレドムが統一を果たし、今ニブノスが内戦に突入しようとしているように、状況は刻一刻と変わっていきます。
敵の敵は味方、小国の多いアレイダはその言葉が似つかわしく、国際情勢にあわせて合従連衡を繰り返してきました。油種という武器を握りしめた自分は何をするべきなのか、未だ明確な答えが見いだせていませんでした。