道端に放り投げられた御者は、起き上がるなり一目散に逃げていきました。彼を襲った男たちは、それをあえて追おうとはしません。
男たちの一人が馬車に近づくと、乱暴にその幕を開け、中を検めます。馬車内では二人の女性が寄り添い、互いの手をとって、きゅっと目を瞑ったまま震えています。
(――違う、こいつらじゃない)
男たちは女性達から金目の物を奪うと、すぐに去っていきました。無駄な行動を一切とらず金品を簒奪していくその手際は、まるで嵐のようでした。
「くれぐれも、粗相のないようにな」
「わかってるわよ」
そんなに口酸っぱく念を押さなくても良いだろうに、と思いつつも、
星川 鍔姫は一応は頷きます。
むしろそんな態度がそうさせるんだ、と言いたげな顔で、男――
仲介人は小さく左右に首を振りました。
ステイティオのとある建物。鍔姫は依頼の仲介人と共に、「依頼の対象」と合流しようとしていました。
「依頼の内容は単純だが、そう簡単な話じゃないんだぞ」
「だから、わかってるって」
そう突き返しつつ、鍔姫の脳裡には今回の依頼内容がよぎります。
――とある人物を、明日中までに、ここ交易都市ステイティオから、王都ケントルムまで無事に送り届ける。
順当に進めば何の問題もなく到着できる旅程です。にも関わらず、護衛を依頼するということは、
それなりの事情があるのだろうと察せられます。
仲介人に続いて部屋に入ると、そこには一人の女性が椅子に座り待っていました。鍔姫よりも幼く、まだ少女と呼んだほうが相応しい年齢に見えます。しかし、背筋のピンと伸び、ただ座っているだけにも関わらず均整を感じさせるその佇まいは、少女がただの一般庶民でないことを感じさせました。鍔姫達のいる入り口側とは反対の、窓の外を眺めています。その遠い視線は、何かに思いを馳せているのでしょうか。
仲介人の紹介を受け、鍔姫が挨拶をしますが、少女は振り向きません。怪訝に思いながらも、鍔姫が続けて少女の名を尋ねると、すこし間をおいて、少女は初めて鍔姫に気づいたように目線だけを向けました。しかしその眼差しは、相手を拒絶するようなも冷ややかなものでした。
「貴女に、名を明かす必要がありますか?」
「あの子、何様のつもりなの!」
「何様って、そりゃ貴族様のご息女様だ」
「だからって、何なのあの偉そうな態度!」
「偉そうじゃなくて実際偉いからな。俺達とは住む世界が違うんだよ」
怒る鍔姫をなだめようと仲介人は茶化して応えますが、しかしどちらかというと火に油のようです。
自分よりも幼い少女に挨拶を拒否された後、それでも鍔姫は一度は笑顔で受け流しました。
その後、ではケントルムを目指そうかという段になって、少女は「今日は疲れました。出立は明日にしましょう」と言い出しました。鍔姫は、道中で何かあったら遅れてしまうかもしれないから、余裕をもって今日中に出立したいとの旨を伝えましたが「何事もなければ明日の出立でも十分に間に合います」「何も起こらないように貴女が雇われているのでしょう?」などと皮肉めいた言い様で突っぱねられたあげく、半ば強制的に追い出されてしまいました。
「そうカッカするなって。まぁ、でもあの調子じゃ、明日も何かと手を焼くかもしれんな。誰か他の奴の手も借りたほうがいいんじゃないか?」
少しムっとしつつも、鍔姫も確かにその方が良さそうだと考えていました。
道中で何かトラブルがあれば、
明日中にはケントルムに到着できないかもしれません。あの「ご令嬢」がまた
何かわがままを言い出したら――むしろ言い出さない事のほうが鍔姫には想像できませんでした。ちょっとしたわがままならまだしも、途中で
自分勝手に一人でどこかに行ってしまいかねないとさえも思えます。
「最近は、ケントルムまでの道中で
貴族の一行が野盗に襲われたなんて話もちょくちょく聞くからな。人手はあって困ることはないだろ」
「そうね……」
そう応える鍔姫の声はまだ不満気で、まださっきの怒りが途絶えていないことが見て取れるようでした。
仲介人は少し考えるようなそぶりを見せた後、仕方なさそうに溜息をつきました。
「そうムッとするなって。あのご令嬢、ケントルムで婚礼なんだよ。花嫁への贈り物と思って、しっかり無事に送り届けてあげてくれ」
「え、それって本当!?」
鍔姫の驚きようが想像以上だったのか、仲介人は満足気にニヤリと口元を歪めました。
「ちょっとはやる気でたか? 知らない体でいろよ。勝手にこんなこと喋ったってバレたら俺が面倒くさいことになるからな……」
「言われなくても、分かってるわよ」
鍔姫は怒っていただけでやる気がなかったわけではありませんが、仲介人の好意に水を差すのも何なので言い返さないでおきました。
何はともあれ、出立は明日になってしまいました。ならば今日は、今日できることをするしかありません。
仲介人も言った通り、協力者を集めないと。
ケントルムまでを共にする、信頼出来る仲間を。